フルートレッスン戦争記 第二幕 - 遊びで終わらせないための実践技術

なぜ私たちは、なかなかフルートの演奏技術が上達しないのか。うまくいかないのは練習方法にあるのか、それともレッスンにあるのか。その謎を解き明かしていきます。

練習時間

あなたが言い訳しても誰も喜ばない

livedoorブログの管理画面があまりにもショボいので、ブログ移転を少し本気で考えていましたが、最近になって急激にアクセスが戻りつつあります。

しばらくこのままやろうかと思います。


「大人になってからフルートを始めたから、なかなか上達しない」と嘆く人をよく見かけます。

はい、私がそうでした(笑)


もろに当てはまっていました。

実は今もそう思っている部分が少し残っています。
完全には消えません。


今は、全くないとは言いませんが、以前と比べると全然そんなことは考えていません。 

「大人になってから始めたから、上達しない」

なんてことを言っていると、本当にその通りになってしまうんですよね。
大人になってから始めてもすごい人はいます。

スポーツじゃあるまいし、結構どうにでもなります。


楽器の演奏くらいならどうにでもなります。

このくらい思っておかないと、やってられないのです。


フルートの重量に耐えられないような年齢になってきたらさすがに考えないといけないかもしれませんが、それにしたっておじいちゃん、おばあちゃんになっても金製や総銀製の重そうな楽器でやっている人もいますよね。

仕事でもこういうことを言う人がいるんです。

「もう年齢が年齢だから、これから(新しいことを)やり始めても遅いんです」


それ、誰が決めたんですか。
誰が遅すぎると決めたんでしょうか。

聞くと、大抵は自分でそう思い込んでいるだけだったりします。
何かの根拠があるわけじゃないんです。

根拠があったとしても、それは何かの受け売りでしかなく、自分で裏を取ったような情報じゃない。


私は今からやっても、指なんかいくらでも鍛えられるんだろうなと思っています。
そして実際にそれを体感しつつあります。

何とかなります(笑)

音感も、リズム感も、本気でやり続ければ何とかなるんじゃないですかね。


確かにプロになるのは難しいかもしれません。
しかしこのプロになるかどうかの境界線なんか、大半の業種では明確な線引きがありません。

何かの試験にパスしないとプロになれないという業種の方が少ないんです。
ましてやそれに近づくことや、実力的に凌駕することに、「年齢」が足かせになることはありません。


私は大人になってフルートを習いだす前まで、音楽は聴く専門で、学生時代の音楽の授業などは大嫌いでした。
フルートのレッスンで、楽譜が読めないことがとにかくコンプレックスでした。
今でもやっぱりどこかにあります。

昔からやっていれば、もっとできるようになったかもしれないと思うわけです。

しかし、この考えが頭をもたげてきたとき、今は「ああ、言い訳してるな」と思います。
他人が言っているのを見ても、やっぱり「言い訳してるな」という風に見えます。


やるのが遅すぎたから、若くないから、練習時間がないから、、、

この手の理由をどれだけ並べたところで、誰も喜ばないんですよね。
自分で言っていても空しくなっていきます。

好きなら、文句言わずにやればいいんです。
徹底的にやってください。

ほとんどの人は、徹底的にやる前に諦めます。
諦めずに徹底的にやり続ければ、負けることはありえないんです。


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練習する時間は本当にないのか

フルートに限らず、楽器の演奏をテーマにしているブログを読んでいると、定期的に出てくるのが「練習時間が足りない」というネタです。


実は私も、練習時間が足りないということはよく感じます。

実際に練習不足でレッスンに臨むことも多いです。


自分視点で「練習するヒマがない」と思っていると、本当に自分が強烈に忙しくて、どうしてもフルートを練習するための時間を捻出できないと感じてしまいます。


できないのではなく、したくないだけの可能性が高い


しかし、他人のブログの記事や質問掲示板を覗いていて、この「練習するヒマがありません」という話を見ると、結構冷静に見ていて、「本当に練習する時間は作れないの?」と思ってしまいます。

これは仕事とか勉強、読書でも同じですね。


やりたい仕事をするヒマがない、英語の勉強をしたいけどするヒマがない、読みたい本があるけど読むヒマがない・・・


たいていは嘘です。

私自身の経験からも、他のことが忙しくてできない、というのは、ほとんど嘘です。
そして私もこういう嘘をよくついてしまいます。

他のことに忙しいから、練習できない。でもそれは仕方のないことだ、と自分勝手に納得しようとしているのです。


したくないならやめたらいい


「のだめカンタービレ」に、コントラバスのさくらちゃんと千秋先輩の掛け合いで、練習できないさくらちゃんに千秋先輩が「じゃあ、やめたら」と言い放つ印象深いシーンがあります。結構有名な場面だと思います。

ちょうどこの場面を掲載しているブログを見つけました。

千秋先輩:そんなの、もっと練習すればいいだけだろ。
サクラちゃん:だから、バイトで時間がなくて。
千秋先輩:やめろよ、バイト。
サクラちゃん:働かないと、学費が払えません。
千秋先輩:じゃあ、やめたら。大学。
のだめ:なんで、そうなるんですか?

Kato's Lab 日誌 「のだめカンタービレ」から学ぶ 2


この例では、「やめたら」は練習ではなく、練習ができない原因になっているもの(大学)にかかっているのですが、私も他人のブログや記事を見て「練習するヒマがない」という内容を見るたびに、「だったらやめてしまえ」と思ってしまいます。


「何かが原因でできない」と言っていることは、本当は好きではないことなのです。

多分これは誰もが分かっているにもかかわらず、どうしても使ってしまうのです。
私も使ってしまいます。


こういう理由付けをしてしまうことに気づいた時に、振り返ったほうがいいのだと思います。
本当にそれを好きでやっているのかどうか。

本当に好きなことなら何時間でも続けられる


娯楽でも勉強でも、仕事でも、本当に好きなことなら何時間でも続けることができるものです。

私は今はほとんどやりませんが、格闘ゲームが本当に好きで、許されれば何時間でも連続で練習していました。格ゲーファンにはこういう人はかなり多いです。

実はフルートも練習自体は何時間でもできる気がします。
実際には2時間を超えるとさすがに疲労感がありますが、それでも苦ではありません。

思い出してみると、特にフルートを始めて間もない頃は特にこの傾向が強く、練習時間が足りないという悩みは、時間が確保できないのではなく、「場所が確保できない」問題の方が大きいくらいでした。

本当にそれが好きなら、時間はいくらでも割くことができるはずなのです。

その時間を作りにくくなってきたということは、自分の中での「好き」の度合いが徐々に下がりだしているサインなのかもしれません。


忙しくて練習時間が取れないというのは、ついついブログに書いてしまいますが、実際に読んでみるとあまり気持ちのよいものではありません。


少しきつめに書いておいて、自分に言い聞かせておこうと思います。

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年間の練習時間を決めてしまう

ふと新たな練習方法を思いつきました。

1 年の練習時間を先に決めてしまうという方法です。
最低限クリアする練習量が必要です。


レッスンを含めた、フルートに費やす時間を決めて、その目標量に向かって常に記録し続けるのです。

300 時間と設定した場合、1 週間当たり 5.7 時間です。
レッスンは今のペースで週 1 回行くと、残りは 4.7 時間。時々は練習室で 2 時間練習しているので、平日に練習時間を 2 回くらい取るようにすると、十分到達可能ですね。

これなら、少し頑張ればクリアできそうです。


レッスンはペースを上げると、週 2 回でも行けるので、そうなるとさらに楽になります。

年間 300 時間、いけるでしょうか。


一月当たり 25 時間です。
今月は、現時点で 5 時間。もう半分が終わろうとしているので、ペースを上げないといけません。

そもそも今月は個人練習を一切していないので、これを機に個人練習もちゃんとやろうかと。

コンスタントに 1 日 1 時間練習時間を作っている人は、余裕で 400 時間に迫るわけですから、300 時間くらいは何とかなるんじゃなかろうかと思います。

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