フルートレッスン戦争記 第二幕 - 遊びで終わらせないための実践技術

なぜ私たちは、なかなかフルートの演奏技術が上達しないのか。うまくいかないのは練習方法にあるのか、それともレッスンにあるのか。その謎を解き明かしていきます。

フルート練習法

なぜそれが強烈な刺激になったのか

前回の続きです。
 

その発表会が終わってから、懇親会が行われました。

懇親会は、フードコートでテーブルをいくつか借り切って行われました。

私は違う席に座っていたのですが、アンサンブルメンバーの女性陣何人かが別の席に座り、乾杯が済んでから少ししゃべりに行こうと思っていました。

アンサンブルメンバーと同じテーブルに、その彼が座りました。


なかなか乾杯が始まらず、しばらくどうしようか迷っていました。
とにかく話したい。

アンサンブルメンバーとも話したいと思っていましたが、同じテーブルなので、ついでに彼と話す機会にしたいと思いました。


随分待たされた後、ようやく乾杯が終わり、今座っている席で家族や知人と会話をした後、ついに席を立って話をしに行きました。

アンサンブルメンバーに声をかけ、すぐ隣に座っている彼に話しかけました。仮にS氏としておきましょう。

話によると、ブランクはあるものの35年フルートをやっており、会話の内容も驚くものがありました。

60歳を超えているものの、やはり数十年やっているだけあって明らかに知識が深い。
新しい楽器の薀蓄に終始する話とは全く次元が違います。

同じテーブルに座っていたアンサンブルメンバーは、呆気にとられていました。
それは無理もなく、彼女らは私よりも10歳近く若く、S氏とは完全に世代が違います。というか私も世代は完全に違います。

実はこのブログなどを通じて、Sonoreさんと話していたことが、S氏との会話をつなぐことに随分役立ちました。私は経験としてはまだ初心者以下の域でしかありませんが、とりあえず知識だけはありました。


懇親会は、アンサンブルメンバーとも話すつもりだったのですが、思わずこのS氏と意気投合してしまい、ほとんど彼とだけしゃべり続けていました。

そして「今これをやっているんです」と言いながら、S氏がおもむろに取り出した教則本には、何と高橋利夫先生の名前が。
よく見ると鈴木メソードの教則本なのですが、この本の内容がいかに分かりやすく、いかに的を射ているかを語ってくれるのです。

私もそこに何が書いてあるのかはある程度を読んで知っていました。実際に購入して使ったことはありません。

「隣り合った音、だからトナリゼイション」という話をしながら大笑いするS氏を、アンサンブルメンバーの女性陣が苦笑いして見ているしかありません。ギャグの感覚などは世代の問題がやはりありますが、話に出てくる内容は見事です。

ソノリテについてどう思うかを尋ねると、あれはダメだと即答。
モイーズの教本は、旋律曲のものを使ってこそ意味があると言い切り、その場で歌ってみせます。


S氏は私に、何をやりたいんですかと聞いてくるので、マレのスペインのフォリアを目指していると答えると、これまた即答で絶対やったほうがいいと言い、フォリアはコレルリのヴァイオリンのものより、マレのもののほうが音楽的だと絶賛します。

やはりここでも歌い出します(笑)。


ちょっとずつでも練習でやったほうがいいと言ってくれました。

S氏は生活問題など色々とあるようでしたが、年季の入ったムラマツの楽器を見せながら、フルートだけは捨てられなかったという話もしてくれました。

懇親会はわずかな時間でしたが、このS氏に出会ったことで、強烈な刺激を得たことは間違いありません。
確実に頭の中が変わった感じがしています。


置かれている状況が昨年で一変し、フルートも何とかしたいと思っていたところでした。

そこに現れたのがこの人です。
私が勝手に衝撃の人物に会ったと思っているだけですが、今までそういう人に直接会う機会はなかったのです。

本質論の話を聞ける人というのは、実際のところ本当に多くありません。
通っている教室の特性上、先生もかなり若いので、昔の巨匠の話などはまず聞けません。 

目標とする人は何人かいますが、現実的に会う機会はまずありませんから、身近にこういう人が出てきたというのはものすごく重要なことだと思います。
目に見える強敵(?)が現れたことで、明確な比較対象ができ、練習やレッスンにもかなり力が入りそうです。

これを生かせるかどうかは、今後の動き方次第ですね。
 

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このブログは第二幕に突入します

実に1年以上、全く更新しないまま過ごしていました。

突然ですが、本日からこのブログを「フルートレッスン戦争記 第二幕」として再始動することにします。


あることをきっかけに、停滞していた気分が一気に変わりました。
これを一過性のものにしないためにも、宣言しておく必要がありそうでです。


ブログは更新していませんでしたが、フルートはずっと続けています。
しかし更新していないことを見てもよく分かるとおりで、書くようなネタがないほどレッスンも練習も停滞気味でした。


フルート以外では、置かれている状況が随分変わりました。
このブログ以外にも運営しているブログがあり、そのブログに注力していたところ、一大メディアになりました。

そのブログは現在月間60万PVに達しています。
フルートレッスン戦争記も、一時期は必死に更新を続けていましたが、更新スタイルにそもそも問題があるということがよく分かりました。
機会を見てフルートレッスン戦争記も組み立て直したいと思っていました。


以前ほどではありませんが、仕事に時間を取られているのは変わらず、フルートの練習もレッスンも、半分惰性で続けているような状況でした。
再履修しているアルテスも一向に進んでいません。


しかし、この日曜日に私にとっての一大事件が起きました。


日曜日は通っている教室の発表会イベントでした。
厳密には定期的に行われている発表会ではなく、アンサンブルを組んでチームで出るというイベントです。

私は今回は仕事に追われている状況で、参加はせずに聴きにいくだけでした。
アンサンブルメンバーや、家族が参加することもあって、聴きにいくことにはしていましたが、正直なところ、聴きに行くこと自体も少し億劫でした。


通っている教室の発表会なので、面々もよく分かっています。
刺激になる演奏は毎回あるにはあるのですが、強烈に印象に残るような演奏を見せてくれる人はなかなかいません。
私も所詮そういうレベルで、緊張することも本番で実力が出ないことも分かっているのです。


ところが、ここで衝撃の事件が起きました。


初めて見る男性で、随分年季の入った楽器を持っています。
また経験者が入ってきたんだと思いながら、その音がどんなものか気にはなりました。
しかし、何者か分からないその人は、生半可なアマチュアな感じではありません。

ヴァイオリンとの掛け合いでモーツァルトを演奏し始めたとき、私は食い入るように見ていました。

やはり普通のアマチュアではありません。


これまでもうまい人はいました。

しかし、それとは次元が違います。

 
ところどころ黒くなった楽器から響く音の質が、久しぶりに聴く密度の高い音です。
そして一番驚いたのが、見事なアーティキュレーションでした。


手元に楽譜を持っていなくても、譜面が見えるような感じです。
はっきりと分かるタンギングの心地よさは、他の人の演奏では感じません。

普段意識的に聴いていなかったからか、先生の演奏でもそんな聞こえ方は感じたことがありません。
それがいいのか悪いのかということは分かりませんが、少なくとも聴きながらそんなことを意識していなかった私のところには、表現が伝わりました。
 

他の参加者にもうまい人、以前から聴いていて上達した人はいましたが、この人から受けた印象が強すぎてあまりよく覚えていません。


彼の演奏自体は、いくつかミスはあったようですが、そんなものは全く気になりませんでした。

自分の実力が知れているのに言えたことではありませんが、他人の演奏を聴いてここまで驚いたのは久しぶりです。


とにかく話がしたいと思いました。
そんなことを思ったことは、今まで一度もありません。

座っている席が遠かったのと、私も一人できているわけではなかったのでそばに行って話しかけるようなこともできませんでした。


このあと、懇親会があり彼と話す機会を得たのですが、その話はまた次に書くことにします。

この人物の登場は、私の中で化学反応を起こすには十分すぎる出来事でした。 

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やり直すこと

今年のレッスンの方針として、今の先生の流儀で新たにレッスンをやり直してもらうことにしようかと思います。


以前の先生に習っていたことと、私が個人的に勉強したことなどを勝手に取り入れて混ぜながら自分なりにやったりもしていましたが、結果的にこれが遠回りなっていたり、レッスンの障害になっている可能性もあります。

自分で考えて、個人的に調べたことなどを踏まえて音色研究をするのは大きな効果があったと思います。

これは今でも全く無駄ではありませんでしたし、普通にレッスンを受けていただけではまず習得できなかったのではないかと思います。


しかし、普通にレッスンを受けていればとっくに習得できていたものもあるような気がしています。

自分で能動的に調べたことを取り入れて試行錯誤していくことは、決して悪いことではないと思います。しかし、それが効果的に働くのは、一定レベル以上の技量を会得した後だと感じ始めています。


一度、このタイミングで敷き直してもらうのも良いと思います。
私自身も相当に素直にならないといけません・・・

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最初のメソッドをマスターすること

気がつくともう年の瀬です。

規制するつもりが、色々あって予定が変わってしまい、また帰れませんでした。
時期を見て帰省するタイミングを考えたいところです。


ブログも予定ではずっと定期更新ペースに入っているはずだったのですが、更新もすっかり滞ってしまいました。
ストックを作っていないのはやはり辛いところがありますね。


何とか余裕を作って練習時間を確保していきたいですね。
心の余裕も大事です。

年末年始というのは、気持ちの切り替えとしては良いタイミングです。


来年は、守破離の「守」をちゃんとやろうかと思っています。


とあるビジネスモデルの話を聞いていて、はっとすることがありました。
うまくいかない人は、次から次へと出てくる新しいプランに目移りして、情報や知識ばかり蓄積されて経験の蓄積がされないのに対し、最初に指定されたものも信じてひたすら打ち込んでいくことでまずその方法をマスターし、結果として次から次へと出てくる新しいプランも吸収できるというものです。

情報収集も大事ですが、その情報を活かせる身体になっていないと、収集しても一切血肉にすることができないということですね。


あれもこれもと手を付ける前に、与えられたある一つを徹底的にマスターしないと先に進めないようです。

来年も精進して実りある年にしましょう。


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受容体を開く

最近、また時間を取りづらくなってきて、フルートの情報収集があまりできていません。


ブログを読んだり、雑誌の記事を眺めたり、演奏を聴いたりといった、「インプット」の時間です。
改めて思い返してみると、以前はこの時間をよく作っていたと思います。

ブログを頻繁に更新しているときも、大抵は相応のインプット量をこなしていました。


アウトプットの先であるブログの更新が落ちてきているのは、インプットの量が下がっていることの証拠でもありそうです。

アウトプットするには、それなりのインプットが必要です。
練習をするのもある意味インプットでしょうし、レッスンもそうかもしれません。


日々、情報収集や知識の習得に気を払っていると、それらが自分の基盤として機能するようになってきます。

私は人にプログラミングを教えたりしていますが、やはり日頃から本を読んだり情報収集をし続けている人は、ある鍵を与えた時に、それまでに収集した知識と瞬間的に結びつけて新しい理解を得るようなことがあります。

いわゆる「一をを聞いて十を知る」というやつなのかもしれません。


この頃のレッスンは、最近のテーマが新しい楽器での「低音の克服」になっていることもあって、ほとんどそればかりに時間を取られていて、あまり進展がありません。


フルートとは関係のない話ですが、最近新しい分野の勉強を始めました。

ところが、まだあまり理解が追いついていません。

何を言っているのかよく分からない、という部分もあるくらいです。


何かを勉強し始めた直後は、こういうことが多いものです。

段々と消化してきて段階的に分かっていくものなのでしょうが、やり始めてからそこそこ時間が経つというのに、未だに腑に落ちるレベルの理解になっていないのです。

「言っている意味がよく分からない」ことを延々と聞かされ続けても、理解するのは難しいということです。

まず、「言っている意味が分かるようになる」ための脳を作らないといけないのです。


ここまでは以前からよく知っていることでした。

割と最近になって分かってきたのは、この「言っている意味が分かるようになる」ためには、とにかく一定量以上の情報収集と知識習得をこなす必要があるということです。


私はこれを、神経の受容体でイメージしました。

受容体が作られないと、与えられた情報を一切吸収できないのです。

それがどんなに素晴らしい教えや情報であっても、受ける側の準備が整っていないと、全く価値がないことになってしまうのです。


フルートの練習でも似たようなことが言えそうです。
さすがにレッスンで「言われていることの意味が分からない」ということはあまりありませんが、楽譜を見て訳が分からなくなったり、教則本で意図していることがよく分からないということは未だにあります。

先ほどの「一を聞いて十を知る」の意味では、レッスンはまさにこのことがそのまま当てはまりそうです。

先生がいかに素晴らしいヒントを出してくれても、受けるこちらの受容体が出来上がっていないと、ただの指摘レベルに終わってしまう訳ですね。


また、面白いのは他人のブログを読むときです。

これも、ある程度の知識がないと、何が書いてあるのかさっぱり分からないので、読みづらくて最後まで読めないということが多々あります。


フルート雑誌も毎号同じことの繰り返しのようにしか見えなかったので、半年近く買っていませんが、そろそろまた購読して読み流していくのも大事なことなのかもしれません。

ブログや雑誌で読んで知ったことが、どこかで何かを繋がる可能性は大いにあります。

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フルート脳とイメージトレーニング

先日、フルート脳を作ろうというエントリーを書きました。


後からよく考えてみると、録音を聞き返すというのは、イメージトレーニングの一環にもなると思いました。

また、少し前に音を大きくするための方法についても書きました。

大きい音量の演奏を聴くことで、自分の音量も大きくなるという話です。
目標とする人の演奏を聴き続けることで、自分の音もそれに似るようになるといいます。

何度も聴いていると、どうやったらこんな音が出せるかと自分でも吹いたイメージをしながら聴けるようになります。


以前はイメージトレーニングとしては全く考えていませんでしたが、今改めて考えると、無意識に自分に投影しながら聴き込んだりしているのかもしれません。

好きな CD を聴き込むのも練習の一つとして使えそうです。


あとは、自分の録音で会心の出来のものを聞き返すことでしょうか。


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フルート脳を作ろう

脳科学の本を読みました。
フルートの練習とは全く関係のない分野ですが、そこに面白いことが書いてありました。


新しいことを覚えようとするとき、無意識に既知の経験に置き換えて解釈している


スポーツや勉強など、新たに習得したいと思っていることに取り組むとき、自分がすでに知っている概念に変換して考えようとすることが、習得の妨げになるというのです。

例えば、野球の得意な人が新たにバスケットボールを習得しようとするときに、無意識のうちに自分の経験したもの(この場合は野球)になぞらえて自分なりに解釈を変えながら習得しようとするそうです。

これがすべての問題の始まりで、他の概念に変換しながら習得しようとすると、いつまで経っても上達しません。


ここで、まっさらな状態でバスケットボールを習得する場合は、何もなぞらえるものがありませんから、何の解釈の変換も必要なく、すっと脳に入って習得できるようになるそうです。

この状態のバスケットボールの習得レベルは、もはや「ネイティブ」であり、もっとも自然な状態を維持できることになります。


語学も同様で、日本人が英語を習得しようとするとき、ほとんどの人は英語を日本語に変換して理解しようとします。これがそもそもの間違いで、英語の本当の意味は英語でしか理解できないため、無理に変換して解釈しようとする試み自体がおかしいということです。


フルートの演奏技術の習得に置き換えると


フルートに置き換えて考えた場合どうでしょうか。

私は楽器経験はフルートが最初ですから、楽器の演奏という意味では他の楽器になぞらえたりはしていません。

しかし、楽器の操作感覚を PC のキーボードに例えてみたり、楽譜を音階で覚えようとしたり、無意識のうちに「自分の分かる知識」に変換して覚えようとしています。


楽器の演奏そのものを他の楽器になぞらえたりはしていませんが、習得方法を他のことで置き換えているということはかなりありそうです。

フルートはフルートなのです。
ヴァイオリンでもなければ、ピアノでもない。フルートでネイティブに、フルートで自由に表現できるようになりたかったら、既知の経験に置き換えずにまっさらな状態で取り組まないといけないということです。

本では英語を本当の意味で理解できるようにすることを「英語脳を作る」と呼んでいるので、フルートでは「フルート脳を作る」ということになりますね。



既知の経験に置き換えずに習得する方法


本の内容によると、新しく習得しようとすることをまっさらな状態で吸収するために、自分の中で脳内イメージを徹底的に作り込むことがよいそうです。

それには、その分野で目標とする人になり切ってしまうイメージをする必要があります。
具体的には、バスケットボールならバスケットボールのスタープレイヤーの動画を1日何時間も見続け、理想的なフォームやプレイ内容を染みこませること。

フルートで言えば、目標としている演奏者の演奏動画をひたすら見続け、脳内イメージではその演奏者に完全になり切るくらいのイメージを構築してから練習に取り組むということになりますね。


ここでいうなり切るイメージというのは、強烈に具体的なレベルにまで落とし込んだ、極めて再現性の高いレベルのイメージです。
吹いている楽器の重さや室温、指の感覚からにおいなどに至るまで、ありとあらゆることを深くイメージしていつでも取り出せるくらいにまで具体的なものに落とし込むこと。

まさにイメージトレーニングですね。


この具体的なイメージ作りを追求し続けることによって、「フルート」で「フルート演奏」を考える意識ができるということです。


ただ楽器を持って毎日吹いていれば練習になるかというと、そうでもありません。

私たちは毎日何時間も頻繁に練習時間を確保できるわけではないので、こういったイメージトレーニングを使って練習することを考えたほうが良いのかもしれません。

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足りないのは歌う意識

Google で「フルートブログ」で検索すると2位が固定になってきました。

アクセス解析を見ていると、「フルートレッスン戦争記」と名前指定で検索して来てくれている人も結構いるようで驚きました。

以前は教則本の名前などで検索してたどり着いてくる人が多かったのですが、最近その手の話題は一切書いていないので、検索流入パターンもかなり変わってしまったようです。



今月に入ってから、時間を見つけてはフルート関連のブログやサイトを探し歩いています。

検索していると、こんなサイトを見つけました。ランキングサイトのようですが、登録した覚えはありません。どうやら勝手に吸い上げているようで、このブログも13位に登録されていました。

フルート ブログランキング|blogram


先日の発表会で演奏した「ごしきひわ」、私はうまくいったと思っていますが、練習中に色々考えることがありました。

全員で合わせると、テンポの様子見のようになり、段々とスピードが落ちていきます。
皆が皆合わせようとするあまり、どんどん曲のテンポが落ちていくのです。

これは本来私が演奏している 1st が思うようなスピードで演奏し、それに合わせてもらうようにするべきなのでしょうが、なかなかうまくいきません。


この曲をやり始めてから、ずっと気になっているのがリズム感です。

レッスンでも度々、流れを意識することを言われます。


しかし、気がつくと譜面の音符を1つずつ丹念に音にしようとしている自分がおり、後で録音を聴くと終始同じ調子でただのメロディが流れていくだけの演奏に聞こえます。


アンサンブルメンバーの女性陣は、曲のリズムを取ろうと、演奏中に少し身体を動かしながら全員で合わせようとします。これを見て、リズムの意識が自分にだけないことに気づきました。

改めてよく考えてみれば、昔からこのことは気にはなっていたような気がします。

楽譜を見て曲を演奏しているにもかかわらず、自分ではなぜか納得が行かず、どこまでやっても演奏の真似事をしているような意識なのです。


楽譜にある強弱がほとんど表現できなかったり、譜面上の音符をただ鳴らしているだけの感覚が続いているのは、曲を歌うイメージを持っていないからではないかと思うようになりました。

私は歌は苦手なので、カラオケも絶対に行きません。(フルートの練習では行きまくっていますが)
稀にレッスンで、音階で歌ってください、というようなことを言われますが、これも辛いですね。


発表会で他のメンバーの演奏する様子を見ていても、上手いと思う人や、感動を覚える演奏をする人は、大抵ノッています。
逆に、何も感じない演奏や、すっと耳に入ってこない演奏をしている人は、どことなくただ楽譜を再現しているように見えます。

実際に声に出して歌うことはしないまでも、曲を演奏しているわけで、歌を歌う、曲を歌うようなイメージをしっかり持ちながら演奏するようにしないと、何時まで経っても音再生装置の意識を抜けられないのかもしれません。


困りました・・・。

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練習する時間は本当にないのか

フルートに限らず、楽器の演奏をテーマにしているブログを読んでいると、定期的に出てくるのが「練習時間が足りない」というネタです。


実は私も、練習時間が足りないということはよく感じます。

実際に練習不足でレッスンに臨むことも多いです。


自分視点で「練習するヒマがない」と思っていると、本当に自分が強烈に忙しくて、どうしてもフルートを練習するための時間を捻出できないと感じてしまいます。


できないのではなく、したくないだけの可能性が高い


しかし、他人のブログの記事や質問掲示板を覗いていて、この「練習するヒマがありません」という話を見ると、結構冷静に見ていて、「本当に練習する時間は作れないの?」と思ってしまいます。

これは仕事とか勉強、読書でも同じですね。


やりたい仕事をするヒマがない、英語の勉強をしたいけどするヒマがない、読みたい本があるけど読むヒマがない・・・


たいていは嘘です。

私自身の経験からも、他のことが忙しくてできない、というのは、ほとんど嘘です。
そして私もこういう嘘をよくついてしまいます。

他のことに忙しいから、練習できない。でもそれは仕方のないことだ、と自分勝手に納得しようとしているのです。


したくないならやめたらいい


「のだめカンタービレ」に、コントラバスのさくらちゃんと千秋先輩の掛け合いで、練習できないさくらちゃんに千秋先輩が「じゃあ、やめたら」と言い放つ印象深いシーンがあります。結構有名な場面だと思います。

ちょうどこの場面を掲載しているブログを見つけました。

千秋先輩:そんなの、もっと練習すればいいだけだろ。
サクラちゃん:だから、バイトで時間がなくて。
千秋先輩:やめろよ、バイト。
サクラちゃん:働かないと、学費が払えません。
千秋先輩:じゃあ、やめたら。大学。
のだめ:なんで、そうなるんですか?

Kato's Lab 日誌 「のだめカンタービレ」から学ぶ 2


この例では、「やめたら」は練習ではなく、練習ができない原因になっているもの(大学)にかかっているのですが、私も他人のブログや記事を見て「練習するヒマがない」という内容を見るたびに、「だったらやめてしまえ」と思ってしまいます。


「何かが原因でできない」と言っていることは、本当は好きではないことなのです。

多分これは誰もが分かっているにもかかわらず、どうしても使ってしまうのです。
私も使ってしまいます。


こういう理由付けをしてしまうことに気づいた時に、振り返ったほうがいいのだと思います。
本当にそれを好きでやっているのかどうか。

本当に好きなことなら何時間でも続けられる


娯楽でも勉強でも、仕事でも、本当に好きなことなら何時間でも続けることができるものです。

私は今はほとんどやりませんが、格闘ゲームが本当に好きで、許されれば何時間でも連続で練習していました。格ゲーファンにはこういう人はかなり多いです。

実はフルートも練習自体は何時間でもできる気がします。
実際には2時間を超えるとさすがに疲労感がありますが、それでも苦ではありません。

思い出してみると、特にフルートを始めて間もない頃は特にこの傾向が強く、練習時間が足りないという悩みは、時間が確保できないのではなく、「場所が確保できない」問題の方が大きいくらいでした。

本当にそれが好きなら、時間はいくらでも割くことができるはずなのです。

その時間を作りにくくなってきたということは、自分の中での「好き」の度合いが徐々に下がりだしているサインなのかもしれません。


忙しくて練習時間が取れないというのは、ついついブログに書いてしまいますが、実際に読んでみるとあまり気持ちのよいものではありません。


少しきつめに書いておいて、自分に言い聞かせておこうと思います。

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部分にフォーカスしすぎることの弊害

面白い記事を見つけました。


音楽教育にどう取り組むか。- Concerto House Home Page


今は低音域が安定して鳴らせないことが気になり、とにかくこの低音域を克服するための練習を重点的に行っています。

練習時間は限られているため、しばしば練習がこの低音域練習でほとんど終わってしまうこともあります。

今回は低音域が問題で低音域にばかり目を向けていますが、このある特定の「部分」にだけ注意を向けることは、他の問題でも結構やってしまいます。


生徒が幼い場合や、初歩の段階で、弾くテクニックを完成させる練習を強制させると、生徒は弾くことの興味が萎えてしまうのです。まずは、今練習している楽曲の中で何が価値があるのかを見つけ、それを、今自分が持っている能力で限りなく豊かに表現してみることの方が優先されなくてはならないでしょう。
部分を強化するというやり方は、けっして間違いではありません。効果においては即効性があって、即、実用的だからです。しかし、全体のバランスを考えないで行えば、しばしば全体を弱体化させるという矛盾もはらんでいるのです。

初歩の段階で、とくに生徒が幼い場合、演奏に完成度をあまりにも高く求めるのも問題があります。リズムや音の部分的な歪みは、この段階では些細なことで、初めに音楽の大きな流れや、楽しさ、美しさを掴むことの方が優先されなくてはならないでしょう。

音楽教育にどう取り組むか。- Concerto House Home Page


そのとおりだと思います。

私も曲の完成度や音程の正確さを優先的に考えてしまいます。
場合によっては、それが自分の中の基準を満たさないことが原因で、すべてうまく行かないと思い込んでしまうこともあります。

これはレッスンでそのように教わっているわけでもなく、ただ自分で一方的にそう思い込んでいるのです。


音程が正確であること、演奏が正確であること(ミスがないこと)、音質が十分であることなど、個別の問題を強く意識しすぎると、本来身に付ける必要のある音楽性や演奏の楽しさを理解することを阻害してしまいかねません。


これはよく考えてみると、レッスンそのものにも当てはまります。

レッスンでも、知らず知らずにうちに音程の正確さを気にするあまり、肝心の音が鳴らなくなるというような現象は結構な頻度で経験しています。

趣味でやっている音楽のレッスンなのですから、無理に自分を追い詰める必要はないわけです。


何か弱点を見つけて、それを克服するためにその部分を取り出して集中的に補強するというのは大事だと思います。

現にこの方法でいくつも改善を体感できています。


しかしそういうことでもなければ、特定の部分に注意を向けるよりも、全体を総合的に見ながら練習していくほうがよさそうです。

特定の部分はいつでも強化できるわけです。

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