フルートに限らず、楽器の演奏をテーマにしているブログを読んでいると、定期的に出てくるのが「練習時間が足りない」というネタです。
実は私も、練習時間が足りないということはよく感じます。
実際に練習不足でレッスンに臨むことも多いです。
自分視点で「練習するヒマがない」と思っていると、本当に自分が強烈に忙しくて、どうしてもフルートを練習するための時間を捻出できないと感じてしまいます。
しかし、他人のブログの記事や質問掲示板を覗いていて、この「練習するヒマがありません」という話を見ると、結構冷静に見ていて、「本当に練習する時間は作れないの?」と思ってしまいます。
これは仕事とか勉強、読書でも同じですね。
やりたい仕事をするヒマがない、英語の勉強をしたいけどするヒマがない、読みたい本があるけど読むヒマがない・・・
たいていは嘘です。
私自身の経験からも、他のことが忙しくてできない、というのは、ほとんど嘘です。
そして私もこういう嘘をよくついてしまいます。
他のことに忙しいから、練習できない。でもそれは仕方のないことだ、と自分勝手に納得しようとしているのです。
「のだめカンタービレ」に、コントラバスのさくらちゃんと千秋先輩の掛け合いで、練習できないさくらちゃんに千秋先輩が「じゃあ、やめたら」と言い放つ印象深いシーンがあります。結構有名な場面だと思います。
ちょうどこの場面を掲載しているブログを見つけました。
この例では、「やめたら」は練習ではなく、練習ができない原因になっているもの(大学)にかかっているのですが、私も他人のブログや記事を見て「練習するヒマがない」という内容を見るたびに、「だったらやめてしまえ」と思ってしまいます。
「何かが原因でできない」と言っていることは、本当は好きではないことなのです。
多分これは誰もが分かっているにもかかわらず、どうしても使ってしまうのです。
私も使ってしまいます。
こういう理由付けをしてしまうことに気づいた時に、振り返ったほうがいいのだと思います。
本当にそれを好きでやっているのかどうか。
娯楽でも勉強でも、仕事でも、本当に好きなことなら何時間でも続けることができるものです。
私は今はほとんどやりませんが、格闘ゲームが本当に好きで、許されれば何時間でも連続で練習していました。格ゲーファンにはこういう人はかなり多いです。
実はフルートも練習自体は何時間でもできる気がします。
実際には2時間を超えるとさすがに疲労感がありますが、それでも苦ではありません。
思い出してみると、特にフルートを始めて間もない頃は特にこの傾向が強く、練習時間が足りないという悩みは、時間が確保できないのではなく、「場所が確保できない」問題の方が大きいくらいでした。
本当にそれが好きなら、時間はいくらでも割くことができるはずなのです。
その時間を作りにくくなってきたということは、自分の中での「好き」の度合いが徐々に下がりだしているサインなのかもしれません。
忙しくて練習時間が取れないというのは、ついついブログに書いてしまいますが、実際に読んでみるとあまり気持ちのよいものではありません。
少しきつめに書いておいて、自分に言い聞かせておこうと思います。
実は私も、練習時間が足りないということはよく感じます。
実際に練習不足でレッスンに臨むことも多いです。
自分視点で「練習するヒマがない」と思っていると、本当に自分が強烈に忙しくて、どうしてもフルートを練習するための時間を捻出できないと感じてしまいます。
できないのではなく、したくないだけの可能性が高い
しかし、他人のブログの記事や質問掲示板を覗いていて、この「練習するヒマがありません」という話を見ると、結構冷静に見ていて、「本当に練習する時間は作れないの?」と思ってしまいます。
これは仕事とか勉強、読書でも同じですね。
やりたい仕事をするヒマがない、英語の勉強をしたいけどするヒマがない、読みたい本があるけど読むヒマがない・・・
たいていは嘘です。
私自身の経験からも、他のことが忙しくてできない、というのは、ほとんど嘘です。
そして私もこういう嘘をよくついてしまいます。
他のことに忙しいから、練習できない。でもそれは仕方のないことだ、と自分勝手に納得しようとしているのです。
したくないならやめたらいい
「のだめカンタービレ」に、コントラバスのさくらちゃんと千秋先輩の掛け合いで、練習できないさくらちゃんに千秋先輩が「じゃあ、やめたら」と言い放つ印象深いシーンがあります。結構有名な場面だと思います。
ちょうどこの場面を掲載しているブログを見つけました。
千秋先輩:そんなの、もっと練習すればいいだけだろ。
サクラちゃん:だから、バイトで時間がなくて。
千秋先輩:やめろよ、バイト。
サクラちゃん:働かないと、学費が払えません。
千秋先輩:じゃあ、やめたら。大学。
のだめ:なんで、そうなるんですか?
Kato's Lab 日誌 「のだめカンタービレ」から学ぶ 2
この例では、「やめたら」は練習ではなく、練習ができない原因になっているもの(大学)にかかっているのですが、私も他人のブログや記事を見て「練習するヒマがない」という内容を見るたびに、「だったらやめてしまえ」と思ってしまいます。
「何かが原因でできない」と言っていることは、本当は好きではないことなのです。
多分これは誰もが分かっているにもかかわらず、どうしても使ってしまうのです。
私も使ってしまいます。
こういう理由付けをしてしまうことに気づいた時に、振り返ったほうがいいのだと思います。
本当にそれを好きでやっているのかどうか。
本当に好きなことなら何時間でも続けられる
娯楽でも勉強でも、仕事でも、本当に好きなことなら何時間でも続けることができるものです。
私は今はほとんどやりませんが、格闘ゲームが本当に好きで、許されれば何時間でも連続で練習していました。格ゲーファンにはこういう人はかなり多いです。
実はフルートも練習自体は何時間でもできる気がします。
実際には2時間を超えるとさすがに疲労感がありますが、それでも苦ではありません。
思い出してみると、特にフルートを始めて間もない頃は特にこの傾向が強く、練習時間が足りないという悩みは、時間が確保できないのではなく、「場所が確保できない」問題の方が大きいくらいでした。
本当にそれが好きなら、時間はいくらでも割くことができるはずなのです。
その時間を作りにくくなってきたということは、自分の中での「好き」の度合いが徐々に下がりだしているサインなのかもしれません。
忙しくて練習時間が取れないというのは、ついついブログに書いてしまいますが、実際に読んでみるとあまり気持ちのよいものではありません。
少しきつめに書いておいて、自分に言い聞かせておこうと思います。
フルート関連のブログ